世論はどうなっているか
ニュースで上のような話が出てきました。
小学生が遠足で飲み物を購入することを教員から許されず、熱中症になったというお話。
世論的には、なんでも規制する古い体質の教育に批判が向いているようです。ひろゆきさんも「民事でなく刑事事件で良くない?」とコメントをして刑事事件として教員が責任を取らされるべきだとかんがえているみたいです。
キャベツ先生はこの記事を呼んで、教員の端くれとして思うことを書いてみたいと思います。ひろゆきさんみたいに賢くもなくお金持ちでもありませんが、教育に携わる仕事をしているので少なくともひろゆきさんよりは教育現場の現場について知っていることもあると思います。
まず、学校というのはとても大人数で動きます。少人数のグループではありません。このニュースの遠足では何人の児童がいたかはわかりませんが、例えば3クラスだとして120人くらいの児童が遠足に参加していたと仮定します。この大人数で動くということを前提に考えてください。
医者からの特別な診断でもない限り、一人の児童に特別な別行動を許可することはできません。それは不公平になって集団活動が成立しないからです。
飲み物を買いたい児童は飲み物を買ってもいいということにすると、、
どういう事態が想定されるか?
・お金をなくしたと言ってくる児童が現れる。
・お金を自動販売機の下に落としたと言ってくる児童
・大勢がいっぺんに買うので、飲みたい飲み物が売れて無くなってしまったと言ってくる児童
・ゴミを道に捨ててしまう児童が現れる。
・友達に無理に奢らせる児童が現れる。
この他にも色々想定されますが、簡単に想像できるところではこんなところです。
自分がその身になってみてください。
120人の児童を遠足に連れて行き、その安全管理だけでもかなり気がはり大変な仕事です。常に目を光らせて危ないことをしている児童がいないか神経を張って見守っています。
それに加え、「先生、お金がなくなった。」と言ってくる児童が現れる。
もちろん、お金を持ってきて自分で飲み物を買うのは勝手でしょうが、それは自分で自分の世話ができで責任が取れる人間にたいしての話です。自由の裏には責任があるものです。責任は取れないけれど自由を主張していいわけがありません。
遠足で飲み物がなくなることが想定されるなら、水筒を大きめなものにすることもできるでしょう。っそ
まだ、水筒が空になったら水道の水を飲んだり水筒に足したりすることができるでしょう。
なぜ、わざわざお金を持ってきて飲み物を買わないといけないでしょうか?
教員の立場からすると、このニュースはとんでもないキチガイ保護者に絡まれた可哀想な教員の話だと思います。
キャベツ先生の解釈は個人的な勝手なものです。だれに押し付けるものでもありません。
みなさんはどんな風にこのニュースを聞きましたか?
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